一章『オブシディア 少女 銅時計』の5節

 エールは白い息を吐きながら邸の前で待っていた。
こう寒いと足まで包むコートを着ても寒さは差ほど和らぐことはない。
外は薄暗くまだ太陽が東の山岳から顔を出していない。
雲の少ない空は灰色がかっており、ちらちらと雪が舞う。
「まだかなぁ」
 体を震わせ森の木々の間にある小さな道の奥を覗く。
数刻経つと蹄がジャクジャクと霜柱を踏みつぶす音が遠くから聞こえてくる。
太陽が山から少し顔を出した頃である。
曙に照らされ白い毛並みを金色に輝かせた馬がこちらに向かってきた。
「おはよーさん」
 灰色のコートを身にまとったジョージが朝に”奥様”の邸に来るのは日課である。
馬は昨日の馬車馬から馬車を外したものである。。
馬車をはずした馬車馬なのでこれは只の馬だ。
「おはようジョージ!」
 エールもその時間に邸の前で彼を待つのが日課である。
早朝に”奥様”の私書箱から荷物を持ってくるのがジョージの役目である。
ノックをして睡眠中の”奥様”を起こさないようにエールが外で待つ。
彼は信用のある人間だから鍵を渡して勝手に家の中に入って荷物を置いていっても良いと思われる。
しかし”魔法使い”の秘術、文献、等は外に漏らすわけにはいかない。
信用が置ける人間でも家に無断で入れることは許されなく、招き入れてもロビーより先に通す事はない。
これは法律でも決まっているのでジョージやエールも理解している。
「今日の荷物は?」
「手紙が三枚だけだな」
 茶色い簡易封筒と赤茶色の封筒、それと一つ絵葉書だった。
雪景色の町の描かれた絵葉書。
一日早い”奥様”宛のバースディカードだった。
「そうか、”奥様”明日誕生日なんだな」
「ええ、70歳になると言ってたよ」
 ふと、ジョージが怪訝な顔をした。
「どうしたの?」
「いや」
 70歳な訳がない、とジョージは思った。
彼の祖父の父が馬車社を開業した時から既に”奥様”はいた。
そもそも人間70程度生きたくらいの”若者”が魔法使いにはなれない。
人が魔力の恩恵を受けることが出来るのは生まれて108年後である。
それはあらゆる人間に当てはまり例外の無い人体の理の一つである。
一般の人間はあまり知りはしないが魔法使いとの交流のある彼はその程度の知識はあった。
「だって女だしな・・・」
 と、呟く。
そう、何百年も生きてるなんて少し怖いものがある。
それっぽい年齢を決めているだけなんだなと彼は思った。
「そーいや、エールは何歳になるんだ?」
「10だよ、ジョージがミスターカーネルと遠くに行ってる時に誕生日が来たの」
「お、そうだったのか」
 彼は少しバツがわるそうな顔をして帽子の縁を掻いた。
「じゃ、誕生日プレゼントやらないとな。
 10歳ってーともう大人だからな、一生使えそうなもんが良いよな」
「お、悪いねぇジョージ。
 でも私は稼ぎがないからお返しは出来ないよ」
 ふふふと笑い目を細める。
「気にするなよ。
 で、何が欲しい・・・って聞くと無粋だよな。
 そうだ、エール将来何になりたい?」
と、気軽に言ったもののふと一つ普段考えなかった事が彼の脳裏によぎった。
そうだ、エールは奴隷だったんだ、と。
何になりたいもなにも、一生”奥様”の家政婦じゃないか。
彼は自分の言葉に少し後悔した。
しかしエールは満面の笑みを彼に向けて言った。
「私は魔女になるよ」
「・・・え?」
 思いもよらない一言だった。
「なれるのか?」
「なるよ。
 だって奥様は私を後継者にするために買ったんだから」
 ジョージは目を丸くした。
あまりにも思いもよらない言葉だった。
エールが魔女?まさか!
魔法使いなんてものはエゴの固まりのような人間しかなれない。
自分本位じゃないと”なれるような職業じゃない”し、実際そういう人間ばかりだ。
カーネルに関しては少し変わり者でそういった面を見せないがエールがなれるとは思えなかった。
「まさか、そんなハズない」
「気がつかない?
 魔法使いは自分の家に一般人を入れないわ。
 じゃあなぜ私は?
 そう考えたら答えは一つしかないよ。
 私を魔女にするために買った弟子だとしたら何の疑問もないわ」
「そう、かな」
 そう言われると何の疑問もない。
しかし彼は今一つ納得できない様子だった。
ただ、エールのような純粋無垢な少女に魔法使いになって欲しくないという気持ちがあった。
だが魔法使いになれるのは98年後、その時まで彼女は純粋なままだろうか?
そう考えると判らなくなる。
人間は純を削って大人になる事など彼も理解していた。
「朝のコーヒーはまだなのかしら・・・?」
 キィと扉が開き”奥様”が顔を覗かせた。
日が昇ってもう数十分と経っていたようだ。
普段朝の遅い”奥様”は今日は少々早く起きたらしい。
「あわわ、”奥様”おはようございます!
 今支度してきます!」
 エールはぱたぱたと屋敷の中に消えていった。
「”奥様”おはようございます・・・」
「おはようジョージ、浮かない顔しているわね」
「そう見えますかね?」
 ジョージは帽子を深くかぶり直し”奥様”を一瞥するが、すぐに視線を逸らす。
「”奥様”、エールをここに置いてるのは魔女にする為ですかね?」
「・・・・」
 ”奥様”は少々呆気にとられ、目を少し開き彼をじっと見つめる。
やがて口を開いた。
「そうね・・・。
 あの子は魔女になるわ」
 はっとし、彼は”奥様”を見た。
”奥様”はニコリと目だけで笑った。

『運が良い!実に運がいいよー』
買い物籠を握り締めエールはスキップ交じりに街道を歩いていた。
楽しげにスキップしながら一人で歩く少女なんて今日日、メシを美味そうに食う人くらい珍しい。
何がそんなに運が良いのかと言うと、それは”奥様”のスケジュールにある。
 今日は画家カイル・ティエポとの約束の日。
デッサンのアルバイトをする日である。
拘束時間三時間はモデルにしては短い方ではあるが買い物の合間にするには長い時間である。
どう言い訳しようかとエールは悩んでいたがそれには及ばなかった。
「エール、これから夕方まで瞑想に入るわ。
 だから物音を立てないようにしてちょうだい」
 と、言われたのである。
長い間帰らなくても気づかれない。
「さて、先にカイルさん家いかなきゃね。
 先に生物買ったら痛んじゃうし」
昨日彼に渡された地図を見ながら住宅街へ進んでいく。
 木と煉瓦で作られた家が多く建ち並んでいる住宅街。
築年数が経っている家が多く、苔に覆われ鉄柵が錆て穴だらけになっている家が目立つ。
塗装は剥がれ赤茶色い煉瓦がむき出しの家、誰も住んでいないのか硝子の割れた家。
人通りは少なく、地べたで寝転んでいるホームレスもちらほらといる。
日当たりは悪い路地が続きブルっと身震いをした。
「こんな所あったんだ」
 ドブはむき出しの状態で、家庭から出る洗剤等が溜まり気持ちの悪い色の泡が延々と流れている。
空き地は草が伸び放題。
今一つ治安も衛生も良い場所ではなかった。
少し良い服を着ているエールには場違いな場所である。
目の前を魚をくわえたネコと裸足で追いかける主婦が通り過ぎる。
なんという無法地帯!とエールは呟く。

『うわぁこりゃボロい』
迷うこと無く到着した目的のアパートは予想外にボロボロだった。
数世代前のデザインのその建物は全て木で出来ている故に、所々の補修は出来ても全体の補修は難しい。
そんな事をするなら立て替えたほうが良い。
でもそんなお金がないからずっとこのままである、といった感じのアパートだった。
外からみた感じ人の気配は無く、二階のベランダに手入れされた鉢があるのが見え、
辛うじて人が住んでいる事が推測される。
 階段を上がるごとにミシミシと嫌な音がし、踏んだ木材がへしゃげ釘が少し浮くのが見える。
やだなぁと思いながら二階に上がりカイルの住む部屋までたどり着いた。
表札もあり、そこはカイルの部屋であることは間違えない。
「ごめんくださーい」
「ああ、来たな」
すぐに彼は出てきた。
 相変わらず目は死んだ魚のようだった。
絵の具でにじんだ三角巾とエプロンをつけている。
エプロンの上から巻かれたベルトには様々な筆が挟まれている。
本当に画家ってこういう格好なんだなぁとエールは関心する。
「入んな」
 中はストーブが焚かれており暖かい。
外の空気で冷え切って硬くなった皮膚がゆっくりと柔らかくなっていくのが判る。
部屋は油絵の具の臭いが充満しており慣れない臭いにエールは少し顔をしかめた。
「さっさと描くぞ。
 ほらコレ使いな」
 と、バスケットを渡された。
「これは?」
「そこに服入れな」
「服?」
「さっさと脱ぐんだよ」
 そこで初めてモデルの意味を察したエールの表情は引きつっていた。


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