一章『オブシディア 少女 銅時計』の2節

「うおぁあーーー!?」
 木と煉瓦で出来た家に少女の甲高い声が響き渡る。
少女の声の前にはガシャンと硝子の割れる音もしていた。
少女、エールが振った箒が作業デスクの上に置いていたフラスコを薙ぎ倒し床に落としたのだ。
青ざめるエール。
フラスコは見事に真っ二つに割れ、粘度の高い”体に悪そうな液体”が床に四散した。
二階の蔵書室で調べ物をしていた”奥様”は「エールはまた」と呟き眼を伏せ頭を傾げた。
「ふぅわわわー、大変だぁ〜」
 ”体に悪そうな液体”は外気に晒され”体に悪そうな白い気体”を出し始める。
エールは慌てて台所へ行き、白い液体の入ったビンを取ってきた。
賢明な読者ならもうお気づきであろう、マヨネーズである。
別にエールは気が動転してマヨネーズで一杯しようと思っている訳ではないので注意したい。
エールが現場に戻った時”体に悪そうな液体”は”体に悪そうな光”を放っていた。
じっと見ているとお子様ならひきつけを起こしかねないタイプの色だ。
「うお、まぶし!」
その地面に落ちた液体めがけてマヨネーズをにゅるりとかけまくる。
へんな薬に調味料をかける少女、機から見るとじつに奇妙な光景である。
みるみる内に”体に悪そうな液体”は透明になり煙も光も収まった。
彼女が地面に落とした液体は”霊薬”と呼ばれる特別な方法で作った液体である。
霊薬は多々有るが大概は環境変化に弱く、さっきのように外気に触れただけで異変がおき、
別の液体が混ざる事によってまた物質が変化し、沈静化した。
「ふぅ、私の理論は間違っていなかったわ。
 良かった!本当に!」
「何が良いものですか」
 エールはいきなり背後から体を触られたネコのように全身の毛を逆立てながら飛び上がった。
そして油をさしていない扉のようにゆっくりとぎこちなくギギギと後ろに振り返る。
二階から本を片手にもった”奥様”が降りてきたのです。
その表情は少し困ったような表情で、別段彼女の失態に対し怒りを露にしている様子は無かった。
「お、お、奥様ぁ・・・」
「何故、マヨネーズをかけたのかしら?」
エールはピンク色のエプロンの端をギュっと握り消えそうな声で言った。
「その、前に鍋の油が火を吹いたときにマヨネーズをかけると収まると聞いたので・・・つい」
「そう・・・」
”奥様”はマヨネーズまみれになった床を眼を細くして眺め、うんと頷いた。
「別に火が出ていた訳では無いでしょう。
 それに運よくマヨネーズの成分がこの薬品に対して活性化させる物が無かったから良かったものの、
 一歩間違えると爆発を起こしかねなかったのですよ?」
エールの眼には涙が一杯に溢れていた。
もう一歩で惨事になりかねなかった事と、奥様に迷惑をかけてしまった自分の情けなさに涙が出た。
あと鼻水も。
「そんな顔をして・・・」
 ”奥様”ははぁと溜息をつき、ハンカチを取り出しエールの顔を拭いた。
エールは顔を赤くし、ひっく、ひっくと肩を震わせた。
「ごめんなさい奥様ぁ〜」
 ”奥様”はエールの頭を撫で、優しく微笑みかけた。
「貴方が無事で何よりだわ」
「ごめんなさい奥様・・・大切な薬を・・・」
 首を横に振り、長いまつげの下にあるエメラルドのような美しい瞳がじっとエールを見つめる。
「いいのよ、薬はまた作れるわ」
 そう言ってぎゅっとエールを抱きしめる。
「なにより貴方が無事で本当に良かった」
「奥様・・・」

『奥様が私に良くしてくれるのにはきっと理由がある』
 エールはその理由を考えた末の結果を見出していた。
先ほど箒でフラスコを倒してしまったのもその考えて出した結論の結果でもあった。
「奥様は私を後継者として育てるために私に良くして下さっているんだ」
 そう、エールは”奥様”がエールを魔女として育てる為に家に置いていると確信していた。
「そうでなければ見ず知らずの私に本当の子供のようにあんなに愛してくださる理由が無いんですもの」
そうと思えばもう自分は魔女になったような気分になった。
箒を魔法の杖のように振っり「埃よ集まりなさい〜」と魔女の真似をしたために、その時フラスコを倒したのだ。
実際はそんな小賢しいくも細かい事ができる魔法なんて存在はしないのだが。
 買い物籠をもったエールは家路へついていた。
籠の中には卵が4つ。
「ここの掃除が終わったら卵を買ってきなさい。
 そしてマヨネーズを作ってちょうだい、無くなってしまったからね。
 今日はコールスローを沢山食べたいわ」
 と、”奥様”が言ったことを思い出す。
うんと美味しいマヨネーズを作らなければとエールは微笑んだ。
 歩くごとに綺麗に整備されたタイルの床を木靴がとんとんと音を鳴らせる。
この町は大きくはないが小奇麗で賑わいがある。
昼の商店街は常に人通りが多く、夜になると酒場が賑わう。
港町なので珍しい品を置く店や外国人も多く在住している。
食事や雑貨品を町に買いにいくのはエールの仕事である為商店街をよく歩くのだが
何度見ても見ていて楽しかった。
エールには自由に使うことのできる金が無かった。
見ても欲しいものは買うことが出来ない。
故にいつみても楽しいのかもしれない。
てに入れてしまえば飽きがいずれ来るのだから。
「あら?」
 ふと足を止め、時計屋のショーウィンドゥを覗き見た。
どれも時を刻んではいない。
ネジ巻き式なので常に動かしておく事は出来ないようだ。
しかしどの時計も精巧に作られている。
置時計、懐中時計、腕時計。
どれも細かく美しい装飾がなされている。
金や銀で作られた時計は日の光を反射しキラキラと輝き、エールはうっとりと見惚れていた。
ふと、その中で一つだけ日の光をいま一つ反射しない懐中時計があった。
まるで生きている様な美しいくも精巧な鳩を掘り込まれた銅時計だった。


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